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20250501

2000/05/01(祝) 明日から講義開始

 
本当はお手紙が届くのを待って出そうと思っていたんだけど、もう明日から講義が始まってしまうのでこれで出します。明日は8:00から解剖学。なぜか朝一番は全て解剖学です。7:00PMに物理で終了。
みんな元気ですか。お手紙頂戴。
私は大丈夫です。

手紙来てる?Cバンクのは開封していいよ。
もしかすると車の税金が来てるかもしれないので、もし来たら払っておいて下さい。どこから手紙が来ているかまた知らせて下さい。

寮の目の前がバス停で10分毎位に走っています。
歩いて5-10分位のところにパン屋、野菜屋、ハム屋さんがあります。
帰宅する時間にはしまっているけれど、土曜日に買いだめしたらいいでしょう。
裏手の方に農家があって卵や牛乳が買えるそうです。
地下に洗濯機があって、たったの1マルクで洗濯できます。ブラボー!

Sachikoの綴りを言うと、chiのiは黙字でしょ、と言われます。どうも日本語のちはchに近いらしいです。


* * * * *

そう言えばドイツに来た頃は、スーパーでも夕方6時か7時で閉まって、講義が終わってからでは買い物できない!という事態に慄いた。
この「裏手の方の農家」というのは何キロか離れたところで、散歩好きのドイツ人にとっては「裏手」なんだけど、私は結局在学中一度も買いに行く余裕がなかった。



売買どちらのレートか判らないけれど、左がドル、右がマルク。
ドイツに来る前に、安い時を狙ってはせっせとマルクを買って外貨預金にしておいた。


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20250430

2000/04/30 ユースホステルでの週末

 
ユースホステルでの週末(2泊)はとても楽しかったです。8-90人位参加して、名前を覚えるのが大変でした。留学生は私1人だけで、他にヴェトナム、トルコ、イラン、イギリス、アメリカの血をひく子がいましたが、みんなドイツで生まれ或いは育ってきた子でした。だから、私は見るからに東洋人だけど日本から来たばかりとは思わないみたい。「いつからドイツに住んでいるの?」と聞かれて「1週間」と答えるとみんなくらくらしています。凄く沢山友達ができました。いろいろ疑問だったことも聞けたし、今日・明日はまだ始業前で暇なのでみんなと会う約束もしました。でも、ÖzlimとかYetohとかつづりを聞かないと発音できない名前も沢山あります。同じ名前が2~3人、というパターンもあるし。これでまだあと100人近く知らない人がいるのだから大変です。



夏学期入学の子は、結構もうKrankenpflegepraktikumを済ませた子とか、外国へ行っていたり働いていたり、他の学部で勉強していた子も多いです。勿論変なのもいるけれど、みんな希望とやる気に満ちていて話していて楽しいです。
私がドイツの医療はかなり人間的だと思うと言ったら、「そうじゃない医者もいるけど・・・」という話しになって、そうしたらすかさず「私達が新しい医者になるんじゃないの!」と1人の子が言いました。ユースホステルには上級生が2人世話係として来て、授業のプリントや本を見せてくれたり、システムの説明をしてくれました。S大で医学部生と一緒の授業に出たときは、こんなのが医者になるのか、とゾッとしましたが、今回会った子達の大半はなかなかいい医者になりそうです。特に女の子達が優秀です。まだ10代で本当に可愛らしい子もいるし、初めて家を離れて「パパとママが恋しい」とホームシックになっている子もいました。
外国人として働くのは大変かな、と思っていたのですが、ビザの問題を除けば見た目は外国人だけどドイツ人という子が沢山いるのでやっていけるんじゃないかなと少し希望がもてます。
物理学科から転部してきた子と仲良くなって、物理教えてね、と約束しました。
あと、応急看護のコースと物理の講義が重なるので困っていたら、もう応急看護を済ませた子が週末に赤十字で受けられるから申し込み方を教えてあげる、と言ってくれたり。みんな私が留学生だと思っていなかったからこちらからどんどん聞かないといけないけれど、聞くと凄く親切丁寧に教えてくれます。ただみんなも新入生でよくわかっていないから、いろんな子と繰り返し話題にすると最良の案が得られます。
少し疲れ気味でドイツへ来てから乗り物に酔いやすくなっています。時差がまだ残っているのもあると思うし、毎日が緊張の連続だったというのもあるし。
これで少し心強くなったので、少しずつ慣れていくでしょう。
2日後には講義が始まります。専門用語(=ラテン語)の授業もあります。

初めて友達の家を訪ねました。凄ーくきれいな2部屋+キッチン+シャワー+玄関で700マルク位。こちらで700マルクというとひえーー高ーーーいという感じですが、私の松本のアパートより安いんだからがっくりきます。初めてのひとり暮らしで気合いが入っている感じです。日本語を書いてくれと言われて書いたら「壁に飾る」と喜んでいました。私が習字がうまかったらいくらでも書いてあげられるのにね。こちらでは今漢字ものがはやって(?)いて、漢詩を四角いローソクの四面に彫りつけたものなどがよく売られています。でも意味の解説とかは全くついていなくて、みんな訳もわからず買っているんだって。私が住所と電話番号を書いて渡したら、あとで「これ手で書いたの?」と聞かれました。「勿論。どうして?」と聞いたら「全部注意深く見較べてみたら、Tは全て同じだし、コンピューターで打ったのかと思った」って。日本人の器用さといったところかな。
夜5/1の始まり(12:00)に学生達が広場に集まるというのでみんなで出掛けたのですが、ただのお祭り騒ぎでゴミが散乱していてがっかりしました。学生達の馬鹿騒ぎを楽しむ歳じゃないな、と感じました。酔っぱらいも不快だったし、何より喫煙者が多くて参りました。ドイツの煙草は日本のよりも臭い。ドイツも早くアメリカレベルとまではいかなくても日本レベル位には公共の場から煙草を追放するといいんだけどね。私の部屋が煙草臭いのだけでも腹が立って仕方がないのに外に出てまで臭いのは我慢ならん。プンプン。今晩出掛けてみて、やっぱり医学部生は大人しいな、と感じました。お酒飲んでも酔っぱらって迷惑かける子はいなかったし、喫煙者はいたけどみんな外で吸っていたし。それに話していて阿呆さ加減に頭にくるという事もないし。


* * * * *

そう言えば私がドイツに来た頃は、空港や地下鉄、レストランも禁煙じゃなくて、喘息の気がある私はかなりしんどかったんだった。

ここで「12:00」と書いているのは、夜中の12時のことね。「Tanz in den Mai」という行事で、年越しみたいに、5月1日になるところから。
確かその前に皆で居酒屋でビールを一杯飲んでからマルクト広場に行ったんだと思う。おつまみなしでビールだけ飲むというのが新鮮で、ビール一杯がチップを入れても5マルク以下で、「ワンコインあれば飲み会ができる」というのが凄くいいなあ!と思ったのを覚えている。

最後の毒吐きは、もう覚えていないけれど、阿呆な酔っぱらいにでも絡まれたんだろうか・・・。



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20250428

2000/04/28 ガイダンス

 
今日はガイダンスがありました。階段教室の傾斜が凄くきつくて、前の人が邪魔にならないようにできています。最初学生が話し始めたら半分位理解できなくて真っ青になりましたが、凄く方言がきつかったそうです。北ドイツから来た子が「私もよくわからないところがあった」と言っていたので少しほっとしました。教授(?)先生(?)の説明は大体わかりました。色々な地方から集まっているので、学生同士のおしゃべりの方が聞き取りにくい位。結構日本の優等生タイプ、おとなしめでにこにこしている女の子も多いです。今日はこれからユースホステルでの週末に参加します。いろいろ聞きたい事も多いし、今のうちになじんでおかないと取り残されそうだし。一昨日に会った法学を学んでいた子が、「私は5年間位化学・物理・生物から遠ざかっていたからとれる講義は全部とる」と言っていたので、仲間がいる、と嬉しかったです。ガイダンスでは主に医学部の理念と方針の説明でした。コミュニケーションの仕方がとても重視されています。受け身の授業で6年間過ごすと語れない。いい医者にはなれない。だから自分から行動するようになりなさい、とか。あと、後ろがつかえるからなるべく集中・短期で勉強して卒業するように、とか。学生達の印象は、「いい子」タイプが多いけど、固さはないかな。そんなにエリート集団という感じではないけど、授業が始まってみないとわからないね。名前がなかなか覚わらないのと覚えてもらえないのが悩みの種です。ガイダンスが始まる前は凄く不安だったのですが、話してみるとみんなも不安だったというので同じだね。私もS大に入学した時はわからない事だらけだしまだ子供だし、そんなんだったなあ、と。「日本から?」「1人で?」「ずっとドイツに住んでたんじゃないの?」「しかも医学?」ととても驚かれます。日本で留学生に会ってもあまり驚かないけどなー。
ユースホステルでの週末は用意もしてなかったし(みんなには手紙が届いていて用意してきていた)よくわからないしどうしようかなー、と思っていたら、「さっきガイダンスにいた子でしょ。集合場所がわからないんだけどあなたわかる?」と声を掛けられて、その子と2人で道をききながら行きました。結局みんなが美術館に行っている間に私は寮へ戻って用意してくる事になりました。





* * * * *

最初に前に立って話して私を絶望させた学生は、ここの地方出身で、よそから来た皆を驚かすべく、わざとこってこての方言で話していたのだって。心臓に悪いわー。

ショックだったのは、ガイダンスの前に輪になってお喋りしていたら、段々と輪が変形して、私の前で閉じてしまった(私が輪から閉め出された)事。全員てんぱっていて、皆自分の事でいっぱいいっぱいで、役立たずの留学生の事なんか気に留めても貰えないという感じか。

ユースホステルの週末というのは、入学前の懇親会のようなもの。「どうしようかなー、と思っていた」というのは私の精一杯の虚勢で、既に諦めモードだったのを、声を掛けて貰って何とか参加できた。

私は外国人枠だからか入学者名簿に載っていなくて(というか外国人枠でガイダンスから来ていたのは私だけで、あとの子達は学期開始してから、遅れてやってきた。多分皆、苦労したんだろうなー)、この週末のお知らせを受け取れなかっただけでなく、その後実習のグループ分けなどでも全て漏れていて、それぞれ人数制限があるので簡単には入れて貰えず、いちいち生きた心地がしなかった。

トランク一個で来たので着る服が足りなくて、くまに着せていた服を脱がせて着たりしたなー。


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20250427

2000/04/27 入寮

 
今日はCitibankで口座を開いてきました。こちらではCitibankは普通の銀行で、そういえばもともとはアメリカの銀行だっけ、という感じ。30歳以下の学生は口座維持費なしで、普通5000マルク以下だと12マルクの維持費。保険や家賃の引き落としもできます。
口座番号はxxxxxxxx。誕生日+4桁の数字なんだって。銀行コード番号(BLZ)はxxxxxxxxです。急がなくていいから、そのうちに私の日本の口座からドイツマルクを全額こちらに送金して下さい。こちらで少しは定期に入れておきたいから。日本の口座番号はxxxxxxx、暗証番号はお母さんの知っているとおりです。ゆくゆくは私の日本の口座は解約するつもりです。お父さんとお母さんの口座があれば充分でしょう。ただ、今はまだ定期にドルが入っているし、もう暫くはいるかも知れないし。
今は為替はどうですか。何か事件は起こっていますか。テレビも新聞もない生活で隔絶されています。
寮でこの階の共同電話をみつけました。(xxxxx)xxxxxです。学生だから多分英語でも通じると思いますが、私をつかまえるのが難しいかも・・・。国番号は49です。
今日初めてバスに乗りました。3マルクは高いような安いような・・・。街の様子も少しずつわかってきて、何となく方向感覚も見についてきました。寮は郊外の丘の上なので歩いていると道は舗装されているものの山歩きをしている様な感じです。散歩と言うにはちょっとハードです。
気候は思っていたよりあたたかいです。昼夜の温度差が激しくて夜は手袋がいる位なんだけど、夜は殆ど出掛けないので「暑い」という印象です。セーターをやめてTシャツをもう2、3枚持って来るんだったー。




部屋は最初小さい!と思ったんだけど、天井が高くて地震がないから戸棚の上も全て収納場所になります。最初は押し入れも引き出しもなくてどうしようかと思ったけど。
アロマのローソクを買ってきてつけたり、日中は窓をしっかり開けたりして、少しずつ臭いはましになってきました。でも、夜閉め切って寝るとまだ朝は臭いです。
最初は机とベッドが逆だったんだけど、今机を置いている側にしかコンセントがないのでかえました。前の住人はコンセントなしでどうやって勉強していたんだろう。
机に対して椅子があまりにも低くて疲れます。あと10cm位高さが欲しい。ベッドは珍しく柔らかすぎず快適です。
床がPタイルみたいなので残念です。下に座れない、物も置けない、というのは不便です。


* * * * *

寮は一番安いのを選んだ。11平米で家賃は275マルク。


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20250426

2000/04/26 手続き終了

 
お元気ですか。やっと事務手続きがほぼ終わり、寮に落ち着きました。あとは保険番号が送られてきたら大学に知らせるのと、銀行口座を開いたら保険会社と寮に伝えるのが残っているだけ。あ、でも来週は講義の登録が始まります。銀行はCitibankを発見したので丁度それで全て済みます。事務手続きは本当に大変で、まず建物が散在していてなかなかみつからない、しかも街中の標高差がかなり激しい、やっと建物をみつけたら事務所が移転していた、或いは長蛇の列だった、しかも殆どの事務所が11時半までしか開いていないのでまわり切れなかった、こちらでよしと言われた事があちらでは駄目だった、等々。しかも責任をもってサインしなくてはならない事も沢山あって、本当に緊張の連続です。


今日は入学手続きがやっと済んで、医学部の事務の方へ行って、講義の説明の冊子をもらいました。講義はかなりみっちりで、月~金、早い日は朝7:15から、遅い日は夜19:45迄。半日で終わる日はなし。2年間のVorklinikの期間の休暇中に、2箇月間のKrankenpflegepraktikumを済ませること。応急手当のコースもとること。・・・講義が始まったら手紙なんか書けなさそうです。
明後日は医学部入学生のための説明会があります。今日、法学を途中まで勉強して医学部へ入りなおしたという女の子と知り合いになりました。なかなかしっかりしていて面白そうな子です。事務所へ両親つきで来ている子もいました。その子には話しかけませんでした。学食の掲示板の交換授業の申し出のところに、日本人求む、というのがありました。Tübingenは日本語学もあるからね。
ジェイディとウヴェに、上の方の階に移ったら?と言われたのですが、7人までは入れるところ3人しかこの階にはいないので、台所、トイレ、シャワーなど都合がいいのと、あとの2人は女の子で感じがよかったので当分この部屋で暮らす予定です。部屋はU207というのはU=地下で、地下2Fなのですが、丘陵地なので陽のささない1Fみたいなものです。部屋の窓の正面が通路なのでちょっと不用心な気もします。部屋を掃除して窓もみがいたら随分よくなりました。カーテンがかき位の濃いオレンジ色なので、これであの布団カバーが届いたら恐ろしい部屋になりそうです。やっぱりもとの黄色のカバーがよかったよー。
買い物にはジェイディが付き合ってくれて、セールの布団が買えました。あとは枕、シーツ、電気スタンド、湯わかし器、座布団(椅子が破れているので)。白いシーツを買おうとしたら「すぐ汚れるし、白は退屈」と言われて黄色にしました。
イースター休暇は私もする事がなかったので、3人で映画をみたり食事にでかけたり散歩したりトランプで遊んだりしました。映画はMagnoliaとErin Brockovich。Magnoliaは最後が蛙だらけでホラーより怖かったです。見終わってから、「私は蛙だけはどうしても駄目」と言ったら、ウヴェが「蛙が怖いって言っても蛙なんてそんなめったにいないじゃない」って。ヨーロッパはアジアとは違うもんね。ジェイディが、中国や日本の美術を見たとき、自然の姿をわざと変えて描いているのだと思っていて、香港へ行ったら木々が絵のとおりでびっくりしたんだって。いろいろ面白いです。中華、ギリシア、インド料理を食べました。中華はやっぱりイマイチ。
寮の近くに肉屋とパン屋をみつけたので、朝晩はそれで、お昼は学食かな。今日牛乳を買って飲んだらめちゃくちゃおいしかったです。でも、それを冷蔵庫にしまいに行ったら、あとの2人は低脂肪牛乳でした。たしかに日本のよりも脂肪分は高そうだけど、この味にはかえられないかな、という感じ。
もう夏時間で、夜9時近くまで楽しめます。
カップヌードルはこちらではパスタです。袋スープみたいな感覚。なかなかおいしかったけどこれも身体によくないものが入っているんだろうなー。日本のほど毒々しい味はしないけど。これで器が手に入ったので今度は袋スープとかシリアルが買えます。朝シリアルを食べれば大分補えるんじゃないかな。私は日本の食事の方が食材が豊かだと思い込んでいたんだけど、ジェイディと30品目の話しになって数えてみたら、30品目結構楽に達成していてびっくりしました。勿論ジェイディの料理は健康的だから、というのもあるけど、パンにしても中にいろいろ入っているし、そこへ更にチーズやハムを食べるし、ハーブや調味料も豊富だし。
寮生活が長くなるし、かつての大学時代ほどの若さもないし、食べ物には気をつけなくちゃ、と思います。
ここのところ毎日歩きまわっていてとても健康的です。足はパンパンに腫れているけど。自転車で移動している学生が殆どだけど、私の住んでいるところは自転車を使うには坂がきつすぎるし、健康のためには歩くのもいいかな、と思います。講義が始まったらとてもそこまでの余力がないかも知れないけど。
前回の1箇月の旅行のお陰でドイツ語には余り苦労しないし、ジェイディとウヴェにもいろいろ助けてもらえるし、よかったです。6年ぶりのドイツでいきなり事務手続きめぐりはきつかったと思うし。今回事務所でも学生とでもお店でも困らない程度には通じています。書類は流石にウヴェに最終チェックをしてもらったけど。
Tちゃんが来てくれるのはいつ頃になるかなー。ただ、来てもらっても泊まるベッドがないからホテルになるけど。私が休み中だったら一緒にホテルに泊まって観光したいけど・・・。
寮のシャワーはチョロチョロです。前のMädchenwohnheimの方がはるかにきれいだったけど、大学の寮はそう管理されている訳じゃないから仕方がないね。今はまた閉め切った臭いが抜けません。前の住人が喫煙者だったかも知れません。
ま、講義が始まって手紙が途絶えても心配しないでね。じいちゃん、Mちゃん、Aちゃんにもよろしく。みんな元気ですか。そのうちに葉書きを出そうと思っています。Dとの写真とヘマタイトのブレスを忘れたなー。




* * * * *

最初はシュトゥットガルトの友人夫婦(アメリカ人+ドイツ人)宅に泊まらせて貰い、電車で1時間半位のテュービンゲンまで手続きに通った。

例えば健康保険に入るには、学生だという証明がいる。ところが健康保険に入っていないと大学に入学できない。健康保険に入るには料金引き落としの銀行口座が必要。銀行口座を開くには在学証明や住民登録が必要・・・などなど、もう無限のループで、ドイツ入りしてから入学手続き締め切りまで10日間しかなく、もうこのまま入学できずに帰国させられるんじゃないかと真剣に焦った。粘って取り敢えず仮の書類を出して貰って、それで次のところのOKを貰って、それを持ってまた戻って・・・。

因みにこの手描きマップの距離は実際にはもう少し近くて、駅から寮が4.3km。最初地図で見て「歩ける距離だな」と思い、バスに乗るのが怖かったのもあって歩いたのだけれど、高低差が158mもあって、めちゃくちゃ大変だったー。



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20250418

ドイツ入国!


思い出に浸る暇なんてないだろうからと、大切にしていた品も沢山処分した。
髪をセットする時間も惜しいだろうから、束ねられるように伸ばした。
勉強机と寝るベッドさえあれば、あとは何も要らない。
食いしばる歯がある限り、石に齧りついてでも、やってみせる。

バタバタと準備して、遂に出発。

飛行機の中で、大学入学許可の封筒に入っていた冊子に初めてじっくり目を通し、ひえーっと胃が裏返しになりそうになった。



Krankenpflegepraktikum:
前試験の前の学期休み中に2か月間の看護(介護)実習をすること。

Famulatur:
臨床課程の学期休み中に合計4か月間の臨床実習をすること。

Vorprüfung(前試験):
筆記は2日間4時間ずつ、口頭実技は学生4人に試験官2人で、2-3時間
これに合格する事が臨床過程に進む前提となる。




第1回国家試験:
筆記のみ、2日間4時間ずつ

第2回国家試験:
筆記は4日間4時間ずつ、口頭実技はグループで3-4時間

第3回国家試験:
口頭実技のみで、学生4人、試験官4-5人。もはや時間は書いていない・・・。




2000年4月18日、武者震いしつつ、ドイツ入国。
荷物は船便で送ったので、トランク一個で新生活スタート。



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20250416

プロローグ 留学前の心

 

1999年の読書記録


祖母を看取り、遺された祖父の事を手伝いながら、医学部を目指していた私が、将来の自分のために書いた訓戒(1999)

・医療にやり直しはきかない。末期患者の1日は返らない。
・患者にとっても家族にとっても初めての経験ばかり。
・その場で質問して初めて理解できる。
・どんな小さな事でも医者の判断が欲しい。
・聞きかじりの知識が邪魔をする。

・点滴の苦痛 腕を動かせない。針の痛み。血管が見つからなくなる。
・検査の苦痛 体をまっすぐにできない。
・粉薬 飲めない→小さい錠剤の開発
・病室の室温 個人差、タオルすら重い
・食事 同室の人の口出し、家族がいない時
・医者が逃げ腰

→完全な医療はできなくてもよい。
 苦痛のない医療が先。あいまいさが必要。
 きちんとした検査・治療ができなくてもよいのでは?



2000年の読書記録
(4月までが留学前。6月は遊びに行った知人宅で。その後のは、日本から船便で送ったのが届いたのだろう。)

メモした問題点(2000)

・保険点数制度 不必要な投薬・検査・追い出し
・社会→女性への負担 家庭の負担過大、無理
・出産費用に保険がきかない→高齢化社会
・年金は65歳から、ゼロ金利、独居老人は家も借りられない、クーラーをつけたら生活保護打ち切り
・蘇生術
・待合室にベッド
・医者特有のにおい

少し解説すると、ノンフィクション本で紹介されて素晴らしい人物だと思っていた医者でも、インタビューで本人の言葉を読むと医者特有のいやらしさがあり、それが「ここ」と指摘できない事に私は危機感を覚えた。「ここ」と解るものなら避けられる、それが言えなければ、私もいつかそうなってしまうのかと。それを「におい」と名付けて、未来の自分に警告を出していた訳だが、自分がどうなったかは他の方に判断して貰うしかないのだろう。

待合室で座っているのがつらくて崩れ落ちそうだったのに、嫌がらせのように個別に仕切られた椅子しかなかった経験から、流石にベッドは置けないけれど、うちの医院には長椅子のように繋げられる椅子は置いてある。


(2000/04/10 出発前に恩師に挨拶に行き、その夜書いた覚え書き)

「私は今迄先生に恵まれてきた」と言ったら、
「それは君の人徳」「ひたむきに何かを求めている人には何かしてあげずにいられない」
「先生も余力を残して」と言ったら
「いい言葉だな」「でも手抜きはできないよ。もう駄目、とういうところまでやって、余力がもしあったら幸せ」「君ももし医者になって目の前に苦しんでいる人がいたら手なんか抜けなくてへとへとになってもやるんだろう」
「でも、それができない人が大部分なのだから、してあげられる、というのは幸せ」と言ったら、「そうなんだよ」と。
春の嵐の中、夜桜を見て歩いた。駅で名残惜しくて1時間近く立ち話しをした。先生の握手が力強くて先生の想いが伝わって来た。初めて一人前になって先生に対等に扱ってもらった。巣立ち。

私は今迄家族にも先生にも友人にも恵まれてきた。
みんなに支えられ、助けられ、信じてもらってきた。
期待はずれになるな。皆の誇りとなれ。
この道さえ貫ければ何も要らない、と思った切望を忘れるな。
有難い、と身にしみて感じた瞬間を忘れるな。



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20250413

プロローグ ドイツ文学から医学留学まで

 
私は日本でドイツ文学専攻だった。
独文・独語の学部生・院生は合わせて十数名程度しかおらず、旧制松本高校の望月市恵先生からの伝統があり、めっちゃスパルタ。そもそも教養の終わり頃に学部専攻の志望を出して面接を受けるのだけれど、歓迎ムードはゼロで、「あなた、本当にやりたいの?志望書に書いた事は本当なの?」と、かなり問い詰められた。

人数が少なくて「全学年、下手すると院生まで一緒に同じ授業」というのが沢山あったため、学部に上がりたての2年生は落ちこぼれで、学年が上がるにつれて成績もよくなる。
独文の必修単位だけで卒業できる位、必修ものが多かったので、人文学部の他の授業は一つも受けず、だから友達とも疎遠になり、只管ドイツ語漬けの生活。そもそも2年生が始まる前の春休みに、強制参加でタイピング練習させられるところから始まった。
一人の先生は2年生をいつも全員落としていたらしい。というか、履修届をもみ消していた。そうすると、次の年にもう一度受講しないといけないため、勉強量が増えるから。そうとは知らず、真剣に頑張ったのに。落第の記録を残さないのが彼の優しさだと上級生に言われて、のけぞった。
一人の先生の授業は、徹夜で予習しても足りないスピードで進み、予習分が尽きて答えられないと「このままなら、ぼくの授業はもう受けないで貰う」「もう除名だ」「処刑だ」などと叱責され、順番に当てられるのが本当に生きた心地がしなかった。
一人の先生に「あなたにはもう訊かない」と言われて、帰り道に泣きながら自転車を漕いだ事もあった。
冬休みに強制参加させられた特別コースは、トイレ休憩も満足に貰えない程、朝から夕方までの詰め込みが、一週間続いた。
それでも食らいつけば、1年生の教養第二外国語でABCから始めたドイツ語で卒論を書くまでになれるのだ。

除名先生には、卒論審査で初めて褒めて頂き、厳しい言葉を待ち受けていた私は耳を疑い、ふわふわと夢見心地で歩いて帰った。
そして誰も祝ってくれる人が来なかった孤独な卒業式の後、私を飲みに連れ出して下さって、その後はスパルタの陰に隠されていた温かい御心を沢山見せて頂いた。



卒業式


卒業後、全く関係のない仕事をして、それはそれで楽しかったのだけれど、「いつかドイツに」という思いは常に心の底にあった。
それで私がしていたのは、
  1. 定休日が平日だったのをよい事に、休みの日には、ドイツ人の先生の授業にこっそり参加。実はそこには定年退職された先生も一人、潜りで学びに来ておられ、飽くなき向上心に刺激されて「私も!」と。
  2. ドイツ語の口の動きが失われないよう、ドイツ語の本を一人で音読。
  3. 単語暗記。

25歳になった時、突然焦った。
何か新しい事を始めて、一人前になるまでに10年はかかるだろう。
そこから更にベテランになるまでに、また10年はかかるだろう。
とすると、早く始めないと、ベテランになったらもう定年間近じゃない?!

また、「ドイツに行きたい」と言いながら動かなくなり、あわよくばと棚ぼたを待ち始めた私に業を煮やした除名先生に、「さち、お前堕落したな」と言われたのも、ガツンと堪えた。
そして色々な事が重なり、ドイツ医学留学したいと心を決めた。

ところがEU外国人枠というのは、どの大学でも数席しかなく、問い合わせた大学によっては「そこに数百人の志望者がある」と聞かされた。
書類審査のみ(+語学試験)で、母国が内戦などで勉学できないなどの事情がある人は優先されるとか。
学費が無料という事は、税金で賄われている訳なので、そう大盤振る舞いできないのは当然な訳で。

私のドイツ文学の成績というのは、前述のようにかなり特殊だった。そもそもAは、最終学年以外ではあり得なかったもの。
ところが英語の成績証明を出して貰ったら、それが授業ごとの並べ方だったので、例えば「ドイツ文学論」がAからCまで混在しているという、ムラだらけの成績に見える。
ドイツでは最終成績が大事らしいというのを見かけ、私は最終成績はオールAだったので、成績証明を学年ごとの並べ方にして欲しいと要求した。
別の書式で出して貰うには学部の教授会を通さねばならず、もの凄く荒れたらしい。「人文学部からドイツの医学部なんて、無理に決まっている。そんな可能性のない事に手を貸すなんて!」と、提議した私の除名先生は集中攻撃されたとか。でも、負けずに何とか通して下さった。
完成品を見て除名先生が、「これ、できてみたら、格好いいなあ!」としみじみと言って下さったのが忘れられない。

更に、外国では推薦状が結構ものを言うというのも見かけた。
でも外国語の推薦状なんて、百年待っても誰も書いてくれないに決まっている。なので、ドイツ人の先生にお願いして時間を取って貰い、私が書いて欲しい内容をあれこれ話し合いながら英文の推薦状を作成し、学部長にサインだけ頂けるように用意した。
勿論その先生からはドイツ語で推薦状を書いて頂き、役職者からと実際の指導者からの二通を用意できた。

大学によっては入学審査は1年に1度だし、医学部のあるドイツの大学のリストを貰いにわざわざ赤坂のドイツ文化会館まで行ったような時代。それぞれの大学にまずは用紙を請求して(国際返信用切手なんてものを添え)、必要書類を郵送する。気持ちはあっても、なかなか進まない。
会う度に「いつ行くんや?今年か?来年か?」などと言う親戚もいて、悪気はないと判っていても、いつも傷付いた。

入学許可が届いた時、除名先生に電話したら、全く信じて貰えなかった。
「・・・さち、よく読めー」
「でも、Zulassungsbescheidって書いてあります」
「ふーん、それなら、まあ、そうなのかな・・・(全く納得していない口調)」と暫く話し、電話を切る時に、
「・・・さち、もう一度よく読め?」
で、その手紙をコピーして送り、ようやく「おめでとう!」と言って頂けたのだった。

* * * * *

須澤先生、フランク、望月先生、大澤先生、中野先生、小松先生、松沢先生、マンデルアルツ夫妻先生、株丹先生、リサさん、本当に本当にお世話になりました。


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