仕事を辞め、全てを捨て、背水の陣の覚悟で単身ドイツに渡ったのが27歳の時。
当時はまだインターネットも家庭に普及していなくて、手紙をルーズリーフに日記形式で書き溜めては実家に送り、それを母や姉がコピーして家族に回してくれていた。大学で使えたメールは白黒画面で、ローマ字でのやり取りしかできなかった、そんな時代。しかもメールアドレスは登録できなくて、手帳を見ながら毎回入力していた。
荷物の詰め物に使われている新聞も、皺を丁寧にのばして読む位、日本語に飢えていた。毎日新聞の万能川柳を母が切り抜いては手紙に入れてくれ、自分でも作り始めたり。
3年生の時、日本語のノートパソコンとデジカメを父が持って来てくれて、「TUEBINGEN NIKKI」というサイトを始めたけれど、当時は改行もデザインも全て手打ち。まだUSBスティックなどなくて、写真や文章はフロッピーに入れて、大学のコンピュータールームに運んで更新していた。そのサイトも何年か前にサービス終了で消滅してしまった。
それらの日記など、整理しながら改めてアップしていきます。実は昔は書籍化も考えていたのだけれど、実行できないまま古くなり、時代も変わり、「これはもういいか」と思うようになったものの、処分してしまうにはやっぱりちょっと可哀想なので。
* * * * *
「25年前の今日」の日記を予約自動更新していくので、皆さんもタイムマシーンに乗ったつもりで、当時の私の喜怒哀楽やドキドキの追体験を楽しんで頂ければと思います。ただ、長期休みや失われた手紙もあるので、時々間が空くかも。最初の頃は何もかも新しくて、かなりの長文が続きます。
誤字や思い違い、くだらない事、若気の至りの「あんた何様」表現、内輪ネタも多々あり、今読むとツッコミどころ満載ですが、敢えてそのまま恥さらしします。何しろ25年前のものですので、時効という事で、どうぞご容赦下さい。
コメント欄は開けておきますが、記事の更新だけでも続けられるか不安なので、お返事は期待しないで下さい。
* * * * *
さあ、6年半の留学が始まります!
9時5時じゃなくて7時20時なのに目を疑った。大学の建物は街中に散在しているので、講義から講義へはバスで移動したりする。講義は基本的に自由出席だけれど、実習は1回たりとも欠席が許されないものもあった。
この年はイースターがとても遅かったため夏学期が短くなり、水曜日は解剖学が8時からだったのが「それではとても間に合わない」と、7時からになった。



